メニュー

サイト基本情報


思わぬところで目立ってしまうことも

靴下といえば、忘れられない出来事があります。お天気の良い春のある日、私は電車に乗っていました。向いに座っていらしたのは、50代ぐらいのビジネスマン。もうだいぶ暖かくなったので、春夏素材の新しいスーツをお召しでした。ブルーグレーのスーツにピュアホワイトのシャツ、紺に水色の模様のネクタイが肌の色に合っていて、とてもお似合いでした。肌に合った色を着るというのは、若々しく爽やかでいいなあ、と感心していました。が、視線を下にうつしたら、組んでいる脚からのぞく、無防備なスネが。そして靴下の色は白で短く、持ち上がったパンツの裾から素肌が見えているのです。その上、スーツの素材が春夏物ということで薄く、白いズボン下の線が、パンツからしっかり透けて見えました。黒い靴と白い靴下のコントラストがとっても目立ち、私は失礼と思いつつも目が離せなくなってしまったのでした。初めが好印象だっただけに、その後のショックも大きかったのです。たかが靴下と思われるかもしれませんが、このように思わぬところで目立ってしまうこともあるものです。

季節と服とお化粧の関係は崩せない

季節と服とお化粧の関係は崩せないものがある。私自身、お化粧に対して無造作(あまりにも)だから、口紅も好きな色をアイシャドーも何も考えずに選んでいて、ちゃんとした基礎など何も知らない。ファンデーションをつけるようになったのは、紫外線の怖さを知るようになってからだから、ずい分後になってからのこと。怖いもの知らずだったわ。若い頃から心掛けるべきだったのに、このシミ・ソバカス。そんなだから推して知るべし、この服にこの口紅、このシャドーというところまで神経を行き届かせたことなどない。それでも美しいものが好きだから、きれいな容器の口紅やおしろい、コロコロ転がせてつけるおしろい、香水も好き。カプセルに入った美容液も楽しいし、と何かとそろっている。そろっていても上手に活用していないのが本当のところだ。

タキシードないしディナー・ジャケットが誕生するまで

十八世紀末の粋人貴族、ジョージージョンースペンサーが狩り場でのたき火で燕尾服の尾を燃やしてしまったとか、落馬した際に尾がちょんぎれてしまったとか、とにかくある失態によってテイル・コートの尾がなくなってしまった短い上着を平然と着だのが起源、という逸話話をもつジャケットである(このジャケットは十九世紀前半には男女の別なく上流階級で流行するが、一八五〇年代には廃れた。今日のスペンサー・ジャケットは、一九六八年にイヴーサンローランが復活させたのを契機に、さまざまな形をとって復活したものである)。ともかく、タキシードであれディナー・ジャケットであれ、本来はカジュアルな夜会社交服として誕生したものである、という点を確認したい。ラウンジ・スーツと同じく、本来カジュアルな用途を目的に着られていたものが、格式あるフォーマルな正装に昇格してしまった服。それがタキシードないしディナー・ジャケットなのである。