近代の冠婚葬祭には三つのエポックメーキングな時期があった。それを冠婚葬祭の担い手別に改めて整理して考えてみると、このような区分が見えてくる。「?家(血縁)+地域共同体(地縁)(一九〇〇年代以降)?家(血縁)+企業共同体(社縁)(一九六〇年代以降)?個人+家族(狭い範囲の血縁)(一九九〇年代以降)」?から?への流れを決定づけたのは、少子高齢化社会の到来だった。戦後になっても人々の内面を縛りつづけた「家意識」は、ここへきてさすがに寿命が尽きたのだ。冠婚葬祭に地殻変動が起こった時期は、はからずも、礼宮文仁親王(現秋篠宮)と川嶋紀子氏の婚儀(一九九〇年六月二九日、皇太子徳仁親王と小和田雅子氏の婚儀一九九三年六月九日)の時期と重なっている。大正天皇の結婚が一夫一婦制の広告塔になり、昭和天皇の結婚が優生思想を学習させ、現天皇の結婚が戦後民主主義のイメージリーダーだったのに比べると、彼らが与えた影響はさほどではなかったかもしれない。が、平成のロイヤルウエディングも平成の結婚事情を映し出してはいるのである。弟が兄より先に結婚し、結婚相手は大学の後輩。兄は三三歳まで独身で、結婚相手は外務省勤務のキャリア女性。末妹が三六歳までシングルだったことも含め、「家」から「個」へと力点が移っていることが、そこには見てとれる。ただし、そうなると男系男子相続にこだわる現行の皇室典範が、人々に与えている心理的影響は見逃せないだろう。いかに「われわれとはちがう」といったところで、皇室典範は明治民法の「家制度」をあきらかに踏襲している。
法事のあとの故人を偲ぶ会に招かれて出かけると、料亭とまではいわなくても、それなりの割烹で、玄関で仲居さんに「どうぞ」といわれたものの、さてどうふるまえばいいのかわからない。ふつうのお宅に招かれたときのように、「失礼します」といって上がり、脱いだ履物をそろえればいいのだろうか?下足番という言葉がこの業界では残っているように、履物は専門家に任せるのが常識だ。ホテルのクロークで荷物を預けたときのように、番号札をくれたりもしないから、だまって脱ぎっぱなしにしていいことになっている。さて、案内に従って予約された部屋についてみると、自分が一番でだれもいない。そのとき仲居さんに「お待ちください」といわれたからといって、どこに座ってもいいというわけにはいかない。招いてくれたその日の主人役が来るまでは、なるべく入り口に近い下座に座って待つ。どこの席に座るかは、主人役が到着して「どうぞこちらへ」といわれた席につくのが礼儀である。部屋に入って歩くときは、座布団を踏まないようにといった最低限のエチケットも心得ておこう。
あるデパートで、「少々お待ちください」と販売員さんが売り場からレジまで行っている間、ファッション誌でも見ようと、雑誌ののっている台に近づくと、顧客情報が記された1枚の紙が置いてあった。そこにはそのお店のお客様の名前や電話番号、住所だけでなく、体型、そのお客様の夫の風貌や職業まで書いてあるのが見えてしまい、見てはいけないものを見た気がして居心地が悪かった。接客業でその置き忘れは厳重注意ものだが、外部の人があまり出入りしないオフィスでも油断は禁物だ。ほんの少しの間でも席をはずすときは、書類は「裏」にして伏せておくこと。デスクの上に出しっぱなしの書類は、通りすぎるだけの人の目にも触れ、その人に悪気はなくても、内容が見えてしまう場合がある。ただ裏返すだけのことだが、わざわざひっくり返して中身を見る人はいない。会社には、外部の人に知られたくないマル秘事項も多い。情報管理を心がけよう。